「きつい」と「絶対無理」の境界線
こんにちは!城陽駅から徒歩1分の個別指導ゴーパスです。
「あー、きついな」
「無理かもしれない」
毎日机に向かい、終わりの見えない暗記や問題演習。受験勉強をしているなかでそう弱音を吐きたくなる気持ちは痛いほどわかります。
しかし、我々から見ると生徒が直面している壁には、明確に「2つの種類」があります。
それは、「がんばればいける(単なる時間の勝負)」なのか、それとも「本当に無理(完全な絶望)」なのか、という違いです。
この2つを分ける最大の要因はなんでしょうか。非常に感覚的な話になりますが本人が心の奥底で「なんだかんだ言って、いける」と思っているかどうかに尽きます。
まずは、「がんばればいける(時間の勝負)」の壁について。
分厚い英単語帳や、初見では全く解けない数学の問題集を前にしたとき。確かにしんどい。逃げ出したい。
しかし、頭のどこかで「今は解けないけど、解説を読んであと3周すれば自力で解けるようになる」、「やるべきことは明確にわかっている。あとは時間をかけて脳に叩き込むだけだ」と、合格への導線が自分の中で繋がっている状態。
断言しますが、絶対に「無理」ではない。単なる「時間の勝負」です。
本人が無意識レベルで「いける」と思っているうちは、泥臭く時間をかけ、睡眠時間やスマホを見る時間を削ってでも机に向かい続ければ、その目標には到達できる。この段階で口に出す「無理」や「きつい」は、単なる肉体的な疲労や、厳しい現実から逃げたいという甘え、あるいは「こんなに頑張っている自分」アピールです。
一方で、残酷ですが「本当に無理」もあります。
ここで言う「無理」とは、「ちょっと厳しいなあ」「勉強したくないなあ」といった軽い愚痴ではありません。
自分の魂の底から完全な敗北感に打ちのめされ、「あ、絶対に無理だな」と、清々しいほどに、きっぱりと白旗を上げて、己の限界を納得して受け入れてしまう状態のことです。
具体的にはどういう状況か。 例えば、第一志望の赤本を開き、過去問を解いたとき。単なる知識不足ではなく、求められている思考の次元が自分の脳味噌と違いすぎて、一切の希望の光が見えない暗闇に突き落とされたような感覚に陥ったとき。
参考書や問題集、あるいは予備校の講義のレベルが一段階上がった瞬間。
解説を何度読んでも、先生に質問しても、何語で書かれているのかすらわからなくなり、自分の脳みそでは到底咀嚼できない「知能の限界」だと悟ったとき。
そして何より恐ろしいのは、
「この先、復習すべきことも、やるべき勉強のスケジュールもわかっている。しかし、それを予定通りに完璧にこなしたとしても、根本的な『理解不足』だけがただただ雪だるま式に積み上がっていき、入試本番までに目標に届く未来が全く想像できない」と気づいてしまった瞬間です。
この次元の壁を、気合いや根性、あるいは単なる時間的努力(勉強時間を1日2時間増やす等)だけで乗り越えることは、非常に厳しいと言わざるえません。
この「真の絶望」から逆転し、当初の目標を叶えるためには、延長線上の努力ではなく「非連続な飛躍」が必要です。何らかの劇的なブレイクスルーや、突然のひらめき、爆発的な才能の開花。
あるいは、全く新しい視点を与えてくれるような、運命を覆すレベルの指導者との奇跡的な出会い。
そうした「劇的な何か」が起きない限り、打破することは不可能だろうと思います。努力でどうにかなるようなレベルじゃないんです。
だからこそ、壁にぶつかっていると感じている人に問いたい。
直面しているその苦しさは、ただの「時間の勝負」か? それとも「真の敗北」か?
まだ1ミリでも時間をかければ、届くかもしれないという希望が残っているのなら。「無理」ではありません。
努力と覚悟が足りていないだけだ。安易に「無理」という言葉を使って、自分の可能性から逃げず、弱音を吐かず机にかじりついてでも勉強をしよう!